〜プロローグ〜
チセヌプリスキー場は、2013年に営業を休止し、2016年に売却された。なお、蘭越町は売却にあたり、リフトの再開を条件としておらず、売買契約書にもその条件は記されていない。そして購入した会社、有限会社JRTトレーディング(以下「JRT」)は、雪上車をリフト代わりに使うCATスキーの営業をはじめた。なお、 JRTは、北海道バックカントリークラブという商号でツアーの提供をおこなっている。
チセヌプリスキー場は、ニセコ連山を縦走するルートの入り口となっており、チセヌプリスキー場の斜面を利用するバックカントリースキーヤーは少なくない。そして問題は、JRTがCATスキーの利用者以外をスキースロープから排除していることだ。
リフトが動いていたころ、バックカントリースキーヤーは1回券を買って、バックカントリーに出ていた。しかし、JRTの行っているCATスキーは、1日16人限定の貸し切りプランが基本となっており、料金はひとりあたり3万3150円(19-20シーズン)だ。そのターゲットが富裕族であることに疑いはない。
そして、JRTは、CATスキーの利用者以外のスキーヤーがスキースロープに入ることを禁止した。その理由として「*雪上車が常時走行しており、非常に危険です」とJRTのWebページに記されている。
JRTが排他的な利用をしていることに対する不満の声は、町内に住む筆者の耳にも届いた。そこで蘭越町に取材したところ、副町長が応対してくれた。副町長によれば、町には複数の苦情が届いているらしい。(後で知った苦情の数は、最初のシーズンで数十件)
しかしながら、副町長にそれら苦情を真摯に受け止めている印象は受けなかった。それどころか、既に売却した施設の運営について、蘭越町が文句を言われる筋合いはないといった旨を明言した。
なお、蘭越町が売却したのは、リフト、駅舎、休憩室、格納室の4点で、売値は1000万円だ。スキー場の敷地にあたる286,424.13平方メートルについて、JRTは、土地の賃借権を承継し、所有者である北海道に地代を支払っている。ただし、その地代はおそろしく安い。
この記事で提起したい問題は、次のとおり。
- 蘭越町が施設を売却した手法と時期は妥当か
- JRTの排他的運用は妥当か
- JRTはリフトを再開するか
チセヌプリスキー場の歴史
リフトのない時代、スキーとは、すなわち、バックカントリースキーを意味した。1910-1912年にレルヒ中佐が日本でスキーを指導した後、北海道では、北大と小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)のスキー部員たちが、ニセコ連峰でスキーを楽んだ。これが北海道におけるスキーの起源である。同時にニセコがスノーリゾートとして歩みだす幕開けでもあった。
当時、スキーヤーは、昆布駅または狩太駅(現在のニセコ駅)からバスや徒歩でスキーのできるバックカントリーに向かった。宿として使われたのは昆布温泉、湯元温泉、国鉄山の家と井上/稲村温泉(現五色温泉)だ。
チセハウスからチセヌプリに向かう斜面には、1967年(昭和42年)にリフトが掛けられることとなる。それがチセヌプリスキー場である。
チセヌプリスキー場は、ニセコ連峰を縦走する起点となるため、バックカントリースキーにとって、重要な場所だといえる。
しかしながら、このスキー場施設を所有していた蘭越町は、わずか1000万円という金額でこれを売却してしまった。
チセヌプリスキー場の売却
スキー場が売却されるまで
1967年 | 国民宿舎雪秩父の付帯施設としてリフト運営開始 |
1991年 | 民間から改修の寄付を受け整備 |
2013年 | スキー場利用者ら7566名がスキー場の存続を求める嘆願書を提出 |
2013年 | スキー場が営業休止 |
2014年 | 蘭越町が売却先を公募する準備を開始 |
2015年 | 蘭越町が売却価格を5000万円とした |
2016年3月2日 | 売却金額を1000万円に減額し、再公募を開始した。公募内容を示すPDF |
2016年10月28日 | 売買契約が締結された |
蘭越町が売却先として選んだのは、スキーツアーを催行を主たる業とする有限会社JRTトレーディングである。
JRTトレーディングが蘭越町に提出した資料
蘭越町が公募した際の売却条件
蘭越町がチセヌプリスキー場を売却する理由について、「譲渡先公募実施に係る承認協議申請について」に、以下のように記されている。この申請は、蘭越町が土地を所有する北海道に宛てた書類だ。
チセヌプリスキー場は、歴史的な背景を有する湯本地区の観光資源を活用するため、昭和42年12月にオープンし、その後、平成3年に2人乗りフード付き高速リフトを新設するなどして、これまで運営を継続してまいりましたが、スキーリフト利用者は平成3年の164,464人をピークに年々減少し、平成23年度では約80,000人まで落ち込みました。
一方で、リフト施設の老朽化や硫黄の影響による修繕費、維持経費は年々増大してきたことから、平成25年度よりリフト運行を休止して安全対策を含めた施設改修等の方策について検討を進めてきましたが、財源確保のめどが立たないことから、引き続き、平成27年度においても休止を予定しております。そのような中で、’山スキー愛好家などからスキー場存続を求めた署名等が町や町議会に提出されており、チセヌプリスキー場の今後のあり方について内部で検討した結果、民間の新しい経営感覚でスキー場を存続していただければ、蘭越町の観光振興と地域活性化の側面からも最善の方策であると判断し民間公募するに至ったものです。
エリアには好景気の追い風が吹いていた
次の表は、売却公募の資料に添えられたグラフである。
次のグラフは、倶知安町・ニセコ町・蘭越町の宿泊客数の推移を示したものである。宿泊施設の少ない蘭越町を除き、宿泊客の増加傾向は明らかである。
次に、エリアのニュース年表を示す。
1994年 | Niseko Adventure Centerの創設 |
1998年 | NISEKO UNITED 全山リフトパスの稼働 |
2001年 | 同時多発テロにより、リスクの低いニセコが豪州観光客に注目され始めた |
2004年 | 東急がHANAZONOコースを外資に売却、同時に、アルペンスキー場を買収 |
2007年 | 地価上昇率日本一を記録 |
2008年 | ニセコビレッジ(旧東山)が外資に買収される |
2015年 | HANAZONOリゾートがハイアットホテルの参入を発表 YTLホテルズがマリオネット系列ホテルの参入を発表 |
蘭越町がスキー場の売却を決定したのは2014年。大規模な投資が次々に発表され、中小の開発が目立つようになり、地価の上昇傾向も強くなったこころだ。はたして、値段を当初の5000万円から5分の1の1000万円に下げてまで、売り急ぐ必要があったのだろうか。
筆者が取材した副町長によれば、売却にあたって、蘭越町はスキー場を存続させることに重きを置いていない。単に赤字の施設を処分したかっただけである。だから、蘭越町は売却条件にリフトの再開を織り込まなかったのである。さらに言えば、町がスキー場の施設を撤去したらコストがかかるが、現状で売れれば儲かる、といった程度の意識であった。だから価格を5分の1にまで下げたのだろう。
しかしながら、一部のマニアだけが利用するCATスキーでは、観光の柱としては役不足である。蘭越町は短期的な損得で判断するのではなく、長期的な利益を考えて判断すべきであったはずだ。確実な好景気が目と鼻の先で進展しているのだからなおさらだ。
ちなみに、倶知安町・ニセコ町・蘭越町は「ニセコ観光圏」を組織し、観光活動で連携している。しかしながら、蘭越町の認知度は、倶知安町およびニセコ町に比べると明らかに低い。
そして、チセヌプリスキー場は、倶知安町・ニセコ町の好景気を蘭越町に呼び込むために、極めて重要な位置にある。もしうまく立て直せたなら、蘭越町の知名度も上がり、好景気を呼び込めたかもしれない。
売却した現在、JRTがスキー場をどう運営しようが、蘭越町がJRTに直接意見する権利はない。
ワイススキー場との比較
チセヌプリと好対照なスキー場として、ニセコワイススキー場がある。どちらも、かつてパウダースノーを売りにしていた小規模なスキー場である。
ニセコワイススキー場においては、HANAZONOスキー場からのゴンドラが掛けられ、リフトも刷新される計画がある。
PCPD(パシフィック・センチュリー・プレミアム・ディベロップメンツ)は、香港の通信大手PCCW傘下の不動産開発会社で、HANAZONOエリアの再開発に1000億円超を投資することを過去に発表している。
スキーリフト(索道事業)は鉄道事業と同じで、運搬だけで収支を黒字化することは困難である。鉄道の事業者は、例外なく沿線の不動産開発をセットで行うものだ。同様に、PCPDがゴンドラとリフトに多額の投資できるのは、宿泊サービスを含む総合リゾート事業の一環だからだ。
JRTはリフトを再稼働できるか
JRTが蘭越町に提出した経営計画によれば、2018から2020シーズンまでのレッスン利用が約9400万円、パウダーツアーが600万円の収入となっている。つまり、売上げ見込みの90%以上がレッスンによるものだ。
収益の主体はCATを使ったレッスンとなっているが、2019-20シーズンになってもレッスンは行われていない。JRTが安定的な売り上げを見込んでいるので、需要の多い初心者向けレッスンと思われる。しかしながら、チセヌプリの斜面は、初心者のレッスンに不適当であり、JRTが本気でレッスンを実施しようとしていたのかどうか、甚だ疑問である。その理由は、以下のとおり。
- 初心者を呼ぶにはロケーションが悪い
- ヒラフ、Hanazono、ビレッジ、アンヌプリ国際、そしてモイワ、いずれのスキー場もレッスンを行っている。それらに比較すると、チセヌプリのスキー場はロケ―ションが大きく劣る。
- レッスンだけで客は呼べない
- 各スキー場がレッスンだけでなく、屋外キッズパークや屋内プレイランドを設置している。また、救護施設や付き添い者が時間をつぶすレストランや託児所などの付帯施設やサービスが年々が充実化されている。つまり、レッスンの集客には、スキー場としての総合力が問われているといえる。
- 斜面状況がレッスン向きとは言えない
- レッスンには、幅が広く緩やかな斜面が必要。チセヌプリスキー場のスロープの斜度は緩やかとは言えない。また、メインスロープは右下がりとなっておりは、繰り返しの練習に好ましくはない。
- 初心者向けのレッスンには不向きではあるが、中級者向けのレッスンは可能である。事実、町営スキー場だったころには、主として蘭越町内の小中学校のスキー教育の場として利用されていた。もちろん、大した収益を見込めない学校教育の場としての利用が、スキー場の経営を支えていたわけではない。
- 圧雪車の購入と圧雪オペレーションが必要
- CATスキーなら圧雪車による圧雪はいらない。しかし、レッスンを実施するのであれば、運搬用のCATではなく、圧雪車を購入し、レッスンスロープを整備しなければならない。
容易に推測できる結末
先にも示した通り、スキーリフト(索道事業)は鉄道事業と同じで、運搬だけで収支を黒字化することは困難だ。つまり、リフトの再開によって増収となる宿泊や不動産事業を持たない事業者が、リフトの再開に多額の投資をすることはないである。
それゆえ、蘭越町がリフトを再開させたいのであれば、「単なる施設の売却」以外の手法が必要であった。しかし蘭越町は、スキー場の存続を求める署名までをも受け取っていながら、リフトを再開を条件に織り込むことなく「単なる施設の売却」を決定した。しかも、スキー客の増加による地域経済の上向きが明らかであるにもかかわらず、値段を当初の5分の1に下げてまでして売り急いだ。
そうして、公募条件にリフトの再開が明記されず、リフトの再開に対する町職員の意識も低いなか、公募に名乗りを上げた企業の提案はすべてがCATスキーであった。なお、JRTが蘭越町に提出した事業計画書には、『5「安定した集客」「チセヌプリ周辺の宿泊施設」の実現により、索道の再開を目指す(21シーズン目標)』と記されている。また、収支予定表には、2021シーズンに索道設備費用として3億円が計上されている。
JRTの収支予定表のうち、レッスン(レッスン利用人数)の収益予想については。筆者には、いい加減にしか見えない。そもそも、チセヌプリが単価の高い初心者レッスンに不向きであることは先に示した通りだ。一方、CATスキー(パウダーツアー利用人数)の収益予想は、極端に安く抑えられているように見える。これは岩内CATスキーの実績データに基づく評価だ。
以下、筆者のささやかな推測を示す。スキー場の敷地の賃貸は、国定公園をタダ同然で使用することのできる利権である。そして、蘭越町との契約に、スキーリフトの再開は約定されないのなら、「予想ほど収益が上がらなかったので延期」と言い続ければ、リフトを架けなくても、嘘をついたことにはならない。
おそらく、JRTは、最初からレッスンなどするつもりはなかったのだろう。ただ単に、蘭越町への提案時に、スクールを柱とすることで、選定時の見栄えを良くしたかっただけなのだろう。
提案とまったく違う運営がなされているのだから、蘭越町は文句を言って当たり前である。しかしながら、2020年5月17日の取材において、蘭越町の金秀行町長(当時副町長)と山内勲副町長(当時総務課長)は、JRTを擁護するばかりであった。
なお、選定当時、スキー場の処分/運営を検討する委員会が組織されており、金秀行氏は委員長、と山内勲氏は副委員長という立場にあった。そして、スキー場施設の売却と賃借権の扱いは、すべて山内勲氏によって起案され、金秀行氏もそれを承認した。つまり、形式的なプロセスに陥りがちな議会の承認を除けば、ふたりはすべてをコントロールできる立場にいた。
排他的CATスキーの運営の是非
スキーリフトが動かなければ、賃借継続の理由はない
蘭越町は、リフトの再開を売買契約の条件にしなかった。一方、敷地を賃貸する北海道は、契約文書の第3条に「早期の再開を目指す」と明記してある。
「早期」が抽象的なので、法的な拘束力は低いが、ないよりましだ。そもそも、スキー場の敷地は国定公園であり、借りたいと思っても借りられるものでない。スキーリフトが存在しているから、賃貸借が継続しているに過ぎないのである。CATスキーのために、借りることはできない。
もし、JRTが収支計画表で示した計画の破綻が立証できるなら、賃借権を承継する資質不十分として、賃貸借契約の面からJRTを排除することができるかもしれない。
安全が大義にされる危険性
ニセコルールとの比較
日本では、安全を理由にすれば何もかもが許される。スキー場の例をあげれば、ニセコのスキー場だって、かつてはコースの至るところにロープを張り、スキーヤーを制約していた。その大義は、「安全の確保」だ。安全の程度や利用者の利便性が議論されることはなく、運営側のリスクを最小にするための管理が行われてきたのである。
そうした運営者本位のやり方ではなく、利用者の自由を尊重するために『ニセコルール』が生まれた。大義を名目にして、非現実的な規制を強制するのでなく、利用者の自発性を尊重しようとする試みであった。
そして、『ニセコルール』は、役人の「事なかれ主義」に風穴を開け、利用者に評価された。それがニセコがスキーリゾートとして繁栄する大きな要因となったのである。
チセヌプリスキー場のケース
JRTによるチセヌプリスキー場の排他的運営は、『ニセコルール』の対局のやり方と言わざるを得ない。事なかれ主義が蔓延する日本において、大義として「安全の確保」を掲げれば、いかなる排他的運営さえ、関係官庁から指図を受けることはない。一方、締め出された側が、蘭越町や北海道の役人に文句を言っても相手にはされない。
しかしながら、「安全の確保」と盾にして、JRTが スキースロープを独占するやり方は、蘭越町民として容認できない。「安全の確保」とい大義を都合よく利用して、他のバックカントリースキーヤーを排除しているようにしか見えないからだ。そして、JRTの本当の目的は、「Private Full Resort Booking(全山貸切り)」でCATスキーを売ることにあるように見える。
蘭越町は、施設を売却した道義的な立場から、リフトの再開と排他的運営についてJRTからヒアリングを行い、町民に伝えるべきだと思われる。
チセヌプリスキー場は、山岳スキーの起源といえる歴史を持ち、ゲレンデに良質な温泉が隣接するユニークさがあり、そして全国に閉鎖を惜しむファンがいる。
スキー場の運営に対し、古くからの利用者や他のツアー事業者が大きな不満を抱いているにも関わらず、蘭越町が知らぬ存ぜぬの対応に終始している現状は、極めて残念なことである。