チセハウス跡地利用への疑惑
長らく廃墟となっていたチセハウスの建物撤去が2020年11月に完了した。
チセハウスの沿革
チセハウスは、1950年に道営施設として設立された。1951年に織笠巌氏が管理人となった。その後、1963年に蘭越町営化され、1969年、織笠氏に建物が譲渡され、同時に蘭越町と土地の賃貸借契約が締結された。民営化後、チセハウスは、ユースホステルとして運営されていた。
チセハウス跡地は、スキー場と温泉施設に隣接しており、蘭越町の観光資源として極めて重要である。
過去にさかのぼると、蘭越町がチセヌプリスキー場の営業停止を決定した2014年において、チセハウスは、屋根が崩れ落ち、廃墟となっていた。
観光資源として、このエリアの活性化をちゃんと検討するなら、チセハウス跡地を収用し、スキー場と一体として開発できるようにすることは、万人の考えるセオリーである。
しかし、蘭越町は、チセハウスが既に廃墟となっているにもかかわらず、スキー場だけの売却公募を進めた。その結果、現在の不幸な状況が生じた。
2020年11月某日、たまたま、チセハウス跡地に重機が入り、解体工事が進んでいること確認した。
そして、2020年11月9日、蘭越町総務課小林課長にチセハウスの建て替えや賃借権譲渡等の話しが来ていないかを確認した。チセヌプリスキー場の敷地に示した通り、公有地の賃借権は、その賃料の安さから利権となり得るものである。だから、蘭越町が内々でその利権の売買に関わることのないよう、釘を刺すためだ。質問に対し、総務課長の小林氏は、ふたこと返事で「ありません」と答えた。
11月16日、チセハウス跡地に関する文書の開示請求を行った、
チセハウス跡地に関する以下の文書
- 賃貸借契約の内容を示す全ての文書
- その他、建物所有者が当該土地に関して有する権利を示すすべての文書
- 建物の登記状況を示す文書
- 建物所有者と蘭越町とにおいて実施された、賃貸借の継続/解除、または
賃借権の譲渡、あるいは土地の売買に関する交渉、協議、話し合い、合意、
調整、通知などを記録した文書 - カナハン・クレイトン氏、あるいは、ペック・クリストファー・マイケル氏との賃
借権の譲渡、あるいは土地の売買に関する交渉、協議、話し合い、合意、調整、通知などを記録した文書
11月19日、蘭越町総務課でチセハウスの文書の開示を受けた。開示文書のうち、2020年10月26日付け賃借人との対応記録には、織笠氏の相続人が相談に訪れた様子が記録されていた。対応をしたのは総務課小林課長である。相談の内容は、再建築であり、織笠氏の相続人はスポンサーとおぼしき人物を同伴していたようだ。
「チセハウス跡地の利用に関する質問に対し、なぜ、しらを切ったのか?」
私の質問に小林氏は、「安易だった」と言うばかりで、しらを切った理由を答えようとはしなかった。織笠氏の相続人との打合せが2週間ほど前であることから、さすがに「忘れていた」とは言えないだろう。とにかく、しらを切られた側としては、とうてい納得がいかない。
チセハウス跡地の密かな交渉には金町長も関わっている
2019年7月14日付け賃借人との対応記録には、金町長の次の言葉が記録されている。
あの場所は、観光資源としても重要な場所となります。単に住居ということにはなりませんし、現在、民間活力により開発ができないか検討中です。
チセハウス跡地で可能な建築規模
密かな交渉をしなくても、建築課の担当者に確認すれば、次のことくらいはすぐに回答が得られるはずだ。
職員ぐるみの恒常的な不公正行為
チセヌプリスキー場の疑惑の後に、チセハウスの疑惑が続くと、公有財産の内々処分を、職員ぐるみで、恒常的に行っていることを疑われても仕方ないだろう。少なくとも、チセヌプリスキー場のケースにおいては、職員らで『意思決定』をした後に、出来レースを仕組み、議会や〇×委員会を利用して、民主主義の体裁を取り繕うとともに、そこに責任を転嫁したことが、状況証拠には示されている。