背骨の折れた選手
全国のスキー場が雪不足に悩むなか、ルスツは降雪に恵まれているようだ。そして、雪まつりと春節が始まる1月最後の日曜日、僕はスノーボードのテクニカル選手権北海道大会に出場した。残念なのは、僕の背骨が折れていることだ。2か月ほど前にカイトで負傷した。
2か月前、ぼくは公園でカイト揚げていた。遊びというよりスノーカイトのトレーニングだった。風の状態が悪いのは分っていた。でも、悪条件で練習できない日が続いていたので、練習を強硬した。
カイトが真上にあるとき、突風で身体が宙に浮いた。次の突風でさらに高く持ち上げられたのを感じた。どのくらいの高さに達したのかは分からなかったが、落ちるのは早かった。背中から地面に落ちた後しばらく、僕は息ができなかった。
呼吸が回復しても、起き上がることはできなかった。背中の痛みから重症を自覚した。回復を待って寝ている間中、 重い障害で寝たきりになる妄想と闘った。町役場のすぐそばの公園なのに、不思議なことに誰も助けには来なかった。そして数十分後、僕はようやく身体を起こすことができた。
なんとか歩けるが、右足の神経系統に問題があるようだ。のろまな動作で何とかカイトを回収し、クルマで自宅に帰った。諸般の事情で病院には行かなかった。
それから1週間はほとんど寝たきりで回復を待った。ベッドに身体を横たえようとするだけで激痛が走った。身体を起こすときの痛みが恐ろしくて、なかなかベッドから出られなかった。
僕の見立ては椎間板ヘルニアだった。手術ではなく、理学療法が選択される症例だと思った。そこで僕は、背中の筋肉を強化する器具を作成し、ベッドから吊るした。これは、理学療法だけでなく、ベッドへの乗り降りにも大いに役立った。
10日も経つと痛みはだいぶ治まった。1月が経過して、立ち仕事ができるようになった。一時は不能を覚悟したスノーボードもできなくはないレベルに回復した。
病院に行かなかった理由も解消されたので、診察を受けた。ドクターは、MRIの画像を見ながら、第8と第9胸骨が折れていることを告げた。
幸いなことに、脊髄を圧迫しておらず、割れ方もきれいなので、自然に治癒するそうだ。
ぼくは原因がはっきりしたので安心した。ただし、無理はしないほうが良さそうだ。そのときにピンときたのはスノースケートだ。バインディングがないので、無理な滑走はできないはずだ。だから無理なく板に乗る感覚が鍛えられると思った。それに出入りしているモイワスキー場は、全山スノースケート滑走可能なので、乗り場所には困らない。さらに、バインディングなしで乗れるようになれば、スノーカイトも楽しくなる。なにより、スノーボード界の伝説テリエ・ハーコンセンがスノースケートに乗っているビデオにやられた。
そして僕はスノースケートを購入した。下の写真で地面に置いてあるのがスノースケート。立てかけてあるスノーボードは、スプリットボードとパウダーボード。
ぼくはスノースケートで無理なく練習し、大会の直前に技術戦用の板に乗り換える作戦を立てた。怪我によって、無理せず板に乗る技術が発達することを期待したのだ。
ぼくの期待も空しく、大会前日の段階で、板にまったく乗れていないことは明らかだった。それでも奇跡を期待して、大会本番に臨んだ。しかしながら、最初の種目では、 転倒を恐れるあまりに惨憺(さんたん)たる点数だった。さらに、 背骨に負担をかけないために選択した板が、大会の公式用品から外れていたことから、僕は残るふたつの種目に出ることさえできずに失格となった。