東北ビーチバム

    ビーチバム

    北海道の雪解けは進んでいるが、桜が咲くのはまだ先だ。海水も冷たいので、海に入る気はしない。そこで僕は、桜の咲く東北に行くことにした。桜前線に乗って、ゆっくり北海道に戻る予定だ。

    フェリーで秋田へ

    スタッドレスから夏タイヤに履き替え、僕は秋田行きのフェリーに乗った。クルマには、カイトボードとスノーボードの道具が満載だ。晴れているのに風がないときのためにスタッドアップパドル(SUP)用のサーフボード(クルージング用ではなく波乗り用)も積んだ。

    山のコンディションが良ければスノーカイトかスノーボード、海に風があればカイトサーフィン、風がなければSUPをする予定だ。

    山形県の月山は、夏スキーのメッカだ。スノーカイトができるかもしれない。鳥海ブルーラインさえ開通していれば、海を臨む鳥海山のバックカントリーでスノーカイトができるはずだ。

    ただし、風のスポーツは風まかせだ。風の吹くシーズンであっても、いつも風があるとは限らない。絶好のコンディションのはずが、到着したとたん、ぱったりと風がやむことも少なくない。だから、この旅に具体的な旅程はない。どこに行くかは天気次第だ。宿の予約もしていない。

    湯の浜温泉

    最初の目的地、山形県鶴岡市の湯の浜海岸についた。海岸線をクルマで酒田方面に辿り、吹浦西浜のキャンプ場をその日の寝床に決めた。テントで次の日の計画を練っていると、月山はスキーリフトが故障したことが分かった。それに鳥海スカイラインの開通は、ゴールデンウィークに入ってからのようだ。こうして、この旅で雪と戯れることはできないこととなった。

    そこで僕は、到着から2日間は、風のない庄内海岸でSUPを楽しんだ。そうして、風のある青森へ移動することにした。

    山形から青森へ

    途中、角館(かくのだて)に立ち寄り、弘前で桜を見て、津軽半島の日本海側を海に沿ってクルマを走らせた。Googleマップの衛星写真で確認できる砂浜のすべてに足を運んだ。

    砂浜があっても、風が悪ければ海にでることはできない。風が良くても、ゴミだらけの場所では遊ぶ気にはならない。そうして、ビーチをさがしながら北上した。

    出来島海岸
    出来島海岸

    車力(しゃりき)海岸
    車力海岸

    竜飛岬が近づくにつれ、風が強まっていった。砂浜は狭くなる一方だ。ぼくは七里長浜まで戻り、ようやくそこでカイトサーフィンをすることができた。

    東北の砂浜

    日本海から太平洋へ

    次の日、風は東から吹くので、太平洋側に行くことを決めた。僕は淋代(さびしろ)海岸を知らなかったが、どうやらサーフィンの大会が開かれるほどの場所らしい。

    朝6時に弘前のサウナを出て、開花2日目の弘前公園で桜を観覧した。それから八甲田『雪の回廊』を通り、十和田市の桜並木を車窓に眺め、太平洋をめざした。名所にかぎらず、道路沿いの桜は、どれも花盛りだ。そうして、淋代(さびしろ)海岸に到着した。

    淋代海岸

    風が落ちてしまったので、僕はカイトをあげることができなかった。しかしながら、淋代海岸は、すばらしいビーチだった。松林を抜けると広がる空がドラマティックで、ビーチには十分な幅の砂浜がある。また、遠浅なので、安心して遊ぶことができる。それに、サーファーがいるので寂しくない。特筆すべきは、漂着ゴミが皆無であることだ。ゴミだらけのビーチを見慣れた僕にとっては、奇跡のビーチだ。

    砂浜の海岸

    カイトサーフィンには、カイトを離着陸させるための広いスペースが必要だ。ラインの長さが25メートルなので、少なくともその程度の幅があり、かつ、砂浜でなければならない。岩場のビーチはカイトが破けるので、カイトサーフィンには適さない。

    ついでに書くと、安全を盾にした公共事業により、自然のままの砂浜は減るばかりだ。波に対抗するためにコンクリートブロックを積み上げたバリケードが、その費用に見合った効果を持つのかどうか、僕には分からない。確実なのは、景観が激しく損なわれていることと、自然と戯れて遊ぶことができなくなっていることだ。

    今回、桜を見るために角館(かくのだて)を経由したため、男鹿半島の北側、八郎潟の海側に広がる海岸線に行くことはなかった。宮沢海水浴場と五里合(いりあい)海水浴場、それから、地質学的な特異性から名のある安田(あんでん)海岸というスポット名はあっても、この海岸線の全体を示す名前はない。しかしながら、海で遊ぶことが好きな僕にとっては、すばらしい海岸に見える。

    もし八郎潟が干拓されていなかったなら、海岸線の反対側には湖の広がるマリンスポーツのパラダイスになっていたことだろう。マリンスポーツを除いても、美しい砂浜と野鳥の飛び交う湿原が両側に広がるユニークな地形は、秋田県を代表する観光の目玉になり得ただろう。

    埋め立て前の八郎潟

    埋め立てる前の八郎潟は、琵琶湖に次ぎ、日本で2番目に広い湖だった。浅くて湿地状だったので、ラムサールに登録された釧路湿原を連想する人も少なくない。

    埋め立てられずに残った水辺だけでも野鳥天国なのだから、もし自然のままに残されていたなら、今とは比較にならないほど豊かな生態系が残ったはずだ。それに世界的な価値があるかどうかはさておき、失われた自然に対し、この公共事業が費用に見合った効果を得たとは言い難い。

    干拓そのものは完了したので、事業関係者にとっては失敗ではない。しかし、事業の結果に得られたものと失われたものを天秤にかけた場合、事業の利害に関係のない人の多くが『失敗』の札を揚げることだろう。

    それなのに、失われた自然が再評価されることがないのは、先人たちの苦労に対する日本的な配慮というより、国家事業の批判を決して許さない日本社会の闇なのだと思う。

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