富裕層に山を独占させて儲けるCATスキー商法の問題
1. 国定公園内における収益事業としての問題(国・環境省の問題)
(1)国定公園内の土地の適正利用(自然公園法第3条1項)における問題
(2)公園事業者(自然公園法第10条3項)でないにもかかわらず、国が収益事業(CATサービス)を容認している問題
2.公有財産の利用方法における問題
(1)国の土地(ワイス)としての問題:地方自治法第238条の4条2項1号
(2)北海道の土地(チセヌプリ)としての問題:国有財産法第18条6項
(3)事実上、国有地・道有地の使用許可権・賃貸権が利権化している問題
3.投機的売買が可能であることが問題視されていない問題
(1)スキー場の権利を所有する法人を法人ごと売却した場合、巨額の差益が生じても譲渡益税をゼロにできることが問題視されていない問題
旧ワイススキー場の壊れたリフトと事業者の使用許可部分
チセヌプリと同じく、ワイスホルンは、ニセコ連峰の山のひとつである。チセヌプリスキー場の敷地が北海道が所有する土地であるのに対し、ワイススキー場の敷地は、国の土地である。そして、国がHANANONOリゾート(香港のPCPD,日本でいうNTTのような通信大手企業,日本法人としては日本ハーモニーリゾート)に使用を許可しているのは、リフト下(緑色の部分)とゲレンデの一部(黄色の部分)だ。
ワイスの図の黄色部分は、ゲレンデ全体をカバーしておらず、リフト脇の狭い部分だけであることに着目して欲しい。これは、使用許可の対象が、CATの走行が想定される部分だけとされていることが推定できる。
スキー場運営者であるHANAZONOリゾートは、使用許可を得ているのが、山(ワイスホルン)でも、スロープ全体でないにもかからず、チセヌプリ同様、『(山を)貸切』をキーワードとしてたスキー場運営を行っている。
そして、HANAZONOリゾートは、商品を高値で売るためのキャッチフレーズ『広大な山を、たったの12名で終日貸切』を使うために、CATの走行ルートの安全、あるいは、国から使用許可を得ているエリアへの出入りを管理するのではなく、使用許可を得ていないエリアを含めて、登山者の侵入を排除している。
ここでエリアの全体像を確認しよう。
上のタブを「町道付近の公図」に切り替えると、確かにスロープの終わるエリアを取得していることが確認できる。しかし、スキースロープにおいては、索道下と索道脇の一部の使用許可を得ているだけだ。HANAZONOリゾートがずるいのは、「私有地」の範囲をあいまいにし、あたかもそれがスキー場全体であるかのように示していることだ。なお、建物を設置し、雪上車と鎖をバリケードを置いて立ち入り禁止をしているのは、町道上だ。町道の土地所有権は、ハーモニーリゾートが所有しているものの、町道認定されているので、当然、私的利用は制限を受けるものであり、HANAZONOリゾートの使用方法は、それを逸脱している。
HANAZONOリゾートの上原子ジェネラルマネージャーは、「ワイススキー場にゴンドラをつなげて、ワイススキー場を復活させる」とインタビューに答え、テレビは「日本ハーモニーリゾートは9年前にワイススキー場を取得~」と報じた。しかし、元ワイススキー場は、国定公園内にある国の土地である。HANAZONOリゾートを運営する日本ハーモニーリゾートは、壊れたリフトの所有権とCATの走行ルート部分の使用許可を得ているに過ぎない。その使用料は、年間146.400円である。また、元ワイススキー場は、公園事業としては、廃止届が出されており、スキー場事業は公園事業ではない。富裕層しか利用できない単価を設定して行われているCATスキー事業に関しては、国定公園内の国有地で、容認される事業とは思えない。
<参考>リフトが動いていたころのワイスのCAT運送
第3リフトが老朽化によって停止した後、2006年までリフト代わりのCAT(雪上車)が運行していた。CATは、リフトの代替なので、リフト券があればCATにも乗ることができた。2002年当時のリーフレットで運営形態と料金が確認できる。
ニセコワイス観光株式会社は、2006年にスキー場の営業を終了した。その後、スキー場の運営権(壊れたリフトや施設の所有権等の権利)を持つ東急は、その権利を花園エリアを豪州資本の日本ハーモニーリゾートに売却した。2007年に日本ハーモニーリゾートは、香港資本のPCPDに買収された。
- 1971(S46)年12月25日 日本で2番目の国設スキー場として、国設ニセコワイスホルンスキー場が索道(リフト)2本で開設した。自然公園法上は「ワイスホルンスキー場事業」という事業名にて、ニセコ積丹小樽海岸国定公園内での事業が認可された。
- 1973(S48)年までに、リフト5本での運営が開始された。
- 1973(S48)年6月19日 ニセコ山系観光開発公社は、ニセコワイス観光株式会社に名称を変更した。
- 1978(S53)年11月27日 ニセコワイス観光株式会社からニセコ高原観光株式会社へリフト3本とレストハウスの事業承継が承認された。なお、2社の代表取締約は、ともに佐原亨氏である。
- (年次不明) ニセコ山系観光開発公社は、5本ある索道(リフト)のうち3本とレストハウスを承継した。なお、ニセコ山系観光開発公社は、倶知安町、林野弘済会、ニセコ高原の三者でアンヌプリとワイスの開発を目的として組織された。
- 1980(S55)年11月12日 5本ある索道のうち2本が、ニセコ高原観光株式会社に譲渡承継された。
- 1981(S56)年1月12日 ヒュッテ・ワイスホルンは、函館営林支局から神孝一氏に承継された。
- 1988年 ニセコワイス高原温泉山荘緑館がオープンした。
- 1990(H2)年11月19日 スキー場事業の一部(第1・第2リフト)のスキー場公園事業の廃止申請が承認された。なお、ヒュッテ・ワイスホルンは、宿舎事業として変更承認されている。
- 2001(H13)年10月10日 スキー場事業の一部(第3・第4・第5リフト)の休止申請が承認された。申請者はニセコ高原観光株式会社。休止期間は1年間。
- 残存看板・web上の情報・複数の証言によれば、ヒュッテ・ワイスホルンは、CAT(雪上車)をリフトの代替として、スキー場運営を行った。第4・第5リフト側ではニセコワイススノーパークが運営され、最上部ある最初に壊れた第3リフト付近では、ふたつのスキー上のCATが競合する事態となっていたらしい。
- 2004年 日本ハーモニーリゾートが東急リゾートから花園スキー場を買収した。
- 2005年 ニセコワイス高原温泉山荘緑館は、ニセコワイス寶亭留に改称された。
- 2006年 ワイス観光開発は、ニセコワイススノーパークの営業を終了した。
- 2013年 NACは、ワイスで貸切型のCATスキーを開始した。
- 2015(H27)年1月23日 東急リゾートは、日本ハーモニーリゾートにスキー場を売却した。
- 2015(H27)年2月20日 東急リゾートが申請したスキー場公園事業の廃止申請が承認された。
- 2015(H27)年2月20日 日本ハーモニーリゾートは、スキー場公園事業の休止を申請した。休止期間に記載はなく、執行の協議として、自然第335号(昭和46年10月29日)、自然第812号(昭和48年6月19日)が記された。しかしながら、スキー場公園事業は東急リゾートが廃止申請をしており、休止を申請できる公園事業は存在しない。
- 2018年 ニセコワイス寶亭留が閉館した。
参考資料の一部
現時点までに取得した自然公園法上の公文書を全て公開します。
チセヌプリCATスキー
ワイススキー場と同様、チセヌプリCATスキーも国定公園内の公共の土地で実施されている。当時、チセヌプリスキー場を公募売却した蘭越町は、当時、プロポーザルの内容や選定プロセスを一切公開しなかった。そして、蘭越町への公文書開示請求で明らかになった文書により、JRTが実際に行っている事業が公募提案した内容と異なっていることが発覚した。
「なんで、ワイススキー場は怒っていないんですか?」
2020年11月25日、JRT代表のカナハン・クレイトン・アンソニー氏は、チセヌプリスキー場に隣接する町営駐車場で筆者の車に気付き、話しかけてきた。カナハン氏は、自身が蘭越町と仲が良いことを自慢し、「野村(筆者)さんは引っ越して3年か4年でなんでそんなに(蘭越町に対し)怒っているですか?」と聞いてきた。筆者は、蘭越町の副町長に大きな問題がある旨を伝えた
筆者が、JRTが公募と異なる運営に行っていることにコメントを求めると、「なんで、ワイススキー場は怒ってないんですか?」とワイススキー場をやり玉に挙げた。筆者がカナハン氏にリフトの掛け替えない理由を問い正そうとすると、カナハン氏は「You are crazy.」と言い放ち、町営駐車場の中なのに「Get out of here!」と捨て台詞を吐いて立ち去った。
チセヌプリの譲渡における詳細は『蘭越町の隠し事』を参照ください。
この記事は、自然公園法を所管する北海道自然環境局、土地を貸している北海道森林管理局からの公文書開示を待って、記事内容をさらに補充します。