草の男
作家 安部公房の代表作に『砂の女』という小説がある。
海辺の砂丘にやってきた男が、女がひとり住む砂穴の家に閉じ込められる。
砂穴の家は、毎日、砂を掻き出さないと埋もれてしまう。
だから、ふたりの最も大切なしごとは、砂掻きだ。
男は何度も脱出を試みるが、やがてその場所に順応していく、という寓話である。
この作品を初めて読んだ中学生の僕は、『砂の女』が近代日本文学の傑作で、海外でも評価されていることは知っていた。しかし、何が評価されていたのかは分からなかった。ただ僕は、読んでいると、小説の世界に引き込まれるような感覚をおぼえるのが好きだった。安部公房の小説は、多分ほとんとを読んだと思う。
ここで現実に戻ろう。
僕の家に至る道路は私道で、誰かが草刈りをしなければ草に覆われてしまう。
週末にだけやってくるお隣さんは、「まるでジャングルのよう」と言っていた。
お隣さんは、草刈りには辟易しているようで、今年それを実施した様子はない。
お隣さんの話しを聞いた僕は、草刈り機の購入を決意した。
安い電動式ではなく、パワーのあるホンダ農機の4ストロークエンジン式を選んだ。
そして僕は、長いときは1日4時間以上を草刈りに費やした。
前述の『砂の女』では、男はいやいや砂掻きをするのだけれど、僕は草刈りが嫌いではない。
どちらかというと大好きだ。なぜなら、自分の仕事の成果がはっきりと目に見えるからだ。
もしも『砂の女』の砂掻きのように刈った草が次々に生えてきたなら、僕は1度の草刈りで挫折し、草に覆われることを容認するはずだ。
そして僕は、きっと来年も草刈りに追われることだろう。