第1 事件の背景
1 被告株式会社モイワスキーリゾーツオペレーションについて
(1) 以下、被告株式会社モイワスキーリゾーツオペレーションを「被告スキー場」という。なお、スキー場の運営主体ではなく、場所としてのスキー場に限定する場合、「当該スキー場」という。
(2) 被告スキー場は、スキースクール「雪技塾」(代表:■■■)を公認スクールとしている。《甲第14号証(1頁)》
(3) 「雪技塾」代表の■■■は、アルペンスキーで国体4連覇を達成し、レーシングスキーの技術をベースと指導を行っている。《甲14(2頁)》
(4) ■■■は、被告スキー場と協力して、レーシングスキーの練習のためのサービスを提供していた。《甲第15号証ないし甲第1号証6号証》
(5) ■■■と被告スキー場は、レーシングスキーの草大会「ニセコポテト&スプリングカップ」を例年開催していた。《甲第17号証、甲第18号証》
(6) 本件衝突事故が発生した2024-25シーズンは15回目の開催であった。《甲第18号証》
(7) なお、協賛者のひとつであるジャステムレーシングには、被告Mが所属している。《甲6-4号証、甲11-1号証》
2 被告公益財団法人全日本スキー連盟について
(1) 被告公益財団法人全日本スキー連盟(以下「被告SAJ」という)」)は、日本におけるスキーをはじめとしたスノースポーツの国内競技連盟。日本オリンピック委員会、日本スポーツ協会加盟団体。旧所管は文部科学省。
(2) 被告SAJの設立は、1925年2月15日。1926年には、国際スキー連盟(以下「FIS」という)に加盟した。
(3) FISは、本部をスイスにおく、スキー及びスノーボードの国際競技連盟。旧称国際スキー連盟。
(4) また、FISは1967年5月に開催された第26回スキー・コングレス(ベイルート)において、スキー場での通行ルール(後の「行動規範」)を初めて配布した。
(5) その後、2002年6月の第43回コングレス(ポルトローシュ)において、スノーボードを含む現行の「FIS Rules for the Conduct of Skiers and Snowboarders」(FIS10ルール)が全会一致で承認された。《甲第19号証および甲第21号証》
(6) 2021年10月26日、訴外全国スキー安全対策協議会は、FIS10ルールに解かりやすいイラストが添え、日本語と英語の掲示物を作成し、索道事業者(スキー場)が自由に啓発活動に使えるよう、無料配布をはじめた。《甲第21号証》
(7) 訴状第3条2のアの(イ)に示したとおりNSAA(National Ski Areas Association、全米スキー場協会)のみならず、FISが世界標準の滑走ルールを策定し、また、訴外全国スキー安全対策協議会が有用な掲示物を作成し、無料配布されている。
(8) 一方、被告SAJは、定款第4条(8)に「スキー等に関する安全対策及び傷害防止対策の樹立並びにスキーヤ-及びスノーボーダ-の安全を図ること」と記し、また、500番台に達する大量の規定を設けている。しかしながら、原告が調べた限りにおいて、被告SAJは、スキー場における滑走者の安全対策及び傷害防止対策に関する規定を策定していない。
第2 事件の概要
1 本件は、モイワスキーリゾートのメインバーンにおいて、被告M・被告S(以下ふたりを総称して「被告両名」という)の滑走行為により原告野村が接触・転倒し、精神的損害を被ったとして、民法709条に基づく損害賠償を求めるものである。
2 請求額の内訳は、被告Mに対し金90万円、被告Sに対し金90万円、被告SAJに対し金10万円、被告スキー場に対し金10万円、合計金200万円である。
第3 事実経過
1 日時・場所
原告野村は、2025年2月2日11時頃、モイワスキーリゾートのメインバーンにおいて滑走中であった。
2 被告両名の行為態様
被告両名は、前方の滑走者である原告野村に十分な注意を払わず、速度・進路の調整を欠いたまま接近し、被告Sは原告野村に衝突した。
3 事故後の対応
事故直後、被告両名から原告野村への身元の明示・連絡先の提供は円滑に行われず、責任の有無に関する応対も適切さを欠いたため、原告野村は警察・検察対応、記録化・反訳等の負担を余儀なくされた。
4 損害の発現
上記の結果、原告野村には精神的苦痛が生じ、その苦痛は上記の事故後対応等により増大・長期化した。
第4 請求の原因(被告M)
1 当日の関与および共同不法行為性
訴状第3の1の(13)ないし(17)記載のとおり、被告Mは被告嵯峨と一体として滑走し、事故直後も自己の関与を矮小化して責任を回避しようとした。被告Mは原告野村に対し「あなたも悪いんだよ」「100ゼロはないんだよ」と述べ、これを確認されると「はい。そう思ってます」と認めている。さらに「僕はあなたにぶつかったわけじゃないんで」と関与自体を否定する趣旨の発言を行っており、訴状記載の事実経過と整合しない。
2 事故後対応の不相当性(身元明示・協議拒否・弁護士盾)
(1) 身元等の明示・協力の欠缺
訴状第3の1の(21)ないし(26)のとおり、事故後の連絡段階においても、被告Mは身元の明示・連絡先の提供、事実関係の確認作業への協力を欠いた。原告野村が紳士的協議を求めたのに対し、被告Mは「きちんとした手順を踏みたい」「紳士的な話し合いになりそうもない」等と述べて応じず、結局は協議を打ち切っている。
(2) 紳士的協議の一方的拒絶
被告Mは、原告野村に対し「今後、もう、あなたとはお話ししません」「あなたとの話し合いを拒否します。弁護士と話してください」と明示して、民事的な協議そのものを拒絶した。さらに通話末尾では「弁護士としてください。今後、あなたの電話、出ません」と述べ、一方的に通話を終了している。
(3) 一貫した「弁護士盾」・責任回避
被告Mは「全部、委任したんで」「弁護士にそう言われてます」などとして、事実確認や過失に関する対話を恒常的に拒否している。加えて「だって、あなたと示談の話なんかする必要ないですもん」「だから、弁護士を盾にしますから」と発言し、自ら協議を遮断している。
3 評価(違法性・過失・相当因果関係)
(1) 違法性・過失
上記のとおり、被告Mは、事故態様における注意義務違反(前方者への配慮、速度・進路調整)に加え、事故後における身元明示・事実確認・紳士的協議の要請を一貫して拒絶し、社会通念上相当な事故後対応義務に著しく反する対応を続けた。これらは被害者の精神的苦痛を拡大させる態様として、違法性・過失の評価を加重する事実である。
(2) 相当因果関係
被告Mの上記対応により、原告野村は警察・検察対応、反訳・記録化、訴訟準備等の負担を長期にわたり強いられ、精神的苦痛が増大・長期化した。これは被告Mの不相当対応と相当因果関係を有する。
4 損害(慰謝料)の補足
以上を総合すれば、訴状第3の1の(13)ないし(17)、(21)ないし(26)の事実に加え、事故後対応の不相当性を慰謝料算定上の加重事由として斟酌するのが相当であり、慰謝料 金90万円を求める。
第5 請求の原因(被告S)
1 不法行為該当性
(1) 注意義務違反
被告Sは、前方滑走者である原告野村の安全確保のため、自己の速度及び進路を適切に調整すべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、原告野村に接触した。
(2) 過失・因果関係
被告Sの上記行為は過失による不法行為に該当し、原告野村の精神的損害の発生と相当因果関係を有する。
2 損害の性質及び額(補充:裁判所指摘(6)対応)
この不法行為により原告野村は精神的苦痛を被り、これを慰謝するための相当額は金90万円である。
第6 被告両名の責任(原訴の提起態様に関する補足)
1 総論(評価枠組み)
訴えの提起は原則として自由であるが、専ら相手方に過度の負担を与える目的や、社会通念上相当性を欠く態様による訴訟追行は、訴権の濫用又は訴訟上の信義則違反として許されない。本件原訴(令和7年(ワ)第4号)の提起・維持の相当性は、以下の具体的事情を総合して慎重に検討されるべきである。
2 個別事情
(1) 受傷主張の根拠資料の不十分さ
被告両名は原訴において受傷を主張する一方、提出資料は主として領収書であり、診断書その他の医学的資料による受傷・因果関係の裏づけが十分とはいえない。これは、当該請求の相当性・疎明の程度に疑義を生じさせる事情である。
(2) 損害請求額を増額する可能性を示唆
被告両名は、原訴訟訴状第2の1の(3)のオにおいては、「なお、原告嵯峨の左肩の傷みについては、現在も継続しており、今後さらなる治療が必要となる場合もあるので、その場合には請求を拡張する予定である。」と主張している。右主張は、被告両名の意図は措くとしても、原告(原訴被告)野村に対し、紛争対応を萎縮させる効果を生じさせるおそれがある。
(3) 客観映像への言及と未提出・図面への依拠
原訴訴状では現場カメラ映像を確認した旨を前置きしつつ、当該映像自体は提出せず、代わりに事故状況図に依拠している。客観証拠の選択的提出は、事実認定上、当該主張の信用性を慎重に評価すべき事情である。必要な範囲で、映像の提出・開示を促すのが相当である。
(4) 事故態様評価における法的基準の看過
スキー滑走事故の安全配慮においては、上方滑走者の注意義務という基準が実務や一般的な滑走ルールにより広く受容されているところ、これに反する前提での主張構成は相当性を欠く疑いがある。少なくとも、上方滑走者側の回避可能性・前方者保護の観点を正面から踏まえた主張・立証が要求される。
(5) 紛争解決に資する態度の欠缺
原告からの事実確認・紳士的協議の求めに対し、被告側が協議を一方的に拒絶した経過があり、早期・実質的解決に資する応対を欠いている。これは、原訴の追行態様の相当性評価に影響する事情である。
3 小括(法的評価)
以上の事情を総合すれば、原訴の提起・維持は、少なくとも相当性に乏しく、本件別訴原告に過大な負担を与えるものとして、訴権の濫用又は訴訟上の信義則違反と評価し得る余地がある。もっとも、右評価は厳格であるべきであるから、予備的に、原訴の損害主張の信用性・立証の程度を厳格に吟味し、客観映像・医学資料の提出がない限り採用を慎重にすべきである。
4 付言(交渉上の指摘)
本件原訴の提起・維持の態様は、前記の各事情に照らし、紛争の実質的解決よりも相手方に過大な訴訟負担を課す方向に偏している疑いがある。かかる訴訟運用は、一般に、相手方の適切な問題提起・協議を萎縮させる効果を伴い得るものであり、社会的にも看過し難い。この点につき、交渉上の意見として、本件原訴はいわゆる「SLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation)」的な性質を帯びるおそれがあることを指摘しておく。もっとも、右は現時点における交渉上の評価・懸念の表明にとどまり、裁判所において直ちにSLAPP該当性の認定を求める趣旨ではない。被告ら(スキー場・協議団体)においては、相互の安全確保・再発防止の観点から、真摯な協議へと姿勢を改めることを強く求める。
第7 被告SAJの責任
1 統括団体としての社会的役割と注意義務の内容
被告SAJは、国内スキー・スノーボード界の統括・代表団体として、安全配慮及び傷害防止に関する基本的規範の周知・徹底を図るべき社会的役割を担う。
2 周知・運用の不十分さが本件損害に与えた影響
少なくとも本件当時、基本的滑走ルールや事故時の適切な対応(救助・身元明示等)に関する周知・運用は十分であったとはいえず、このことが当事者のルール軽視や不適切対応を助長し、原告の精神的苦痛を増大・長期化させた。
3 本件衝突事故における、被告SAJの会員である被告Mの言動は、「上方滑走者の注意義務」を十分に理解していないか、又は理解していながらも過失相殺の主張により当該義務違反が免責され得ると誤信していることをうかがわせる。
このことは、被告SAJが定款第4条(8)に掲げる「スキー等に関する安全対策及び傷害防止対策の樹立並びにスキーヤー及びスノーボーダーの安全を図ること」の趣旨に照らしても、基本的規範の周知・徹底が十分ではなかったことを示す事情である。
4 損害の性質及び額
被告Mの事故後対応に関する前記各事情は、慰謝料算定上の加重事由として斟酌されるべきであり、被告SAJに対する慰謝料の相当額は金10万円である。
第8 被告スキー場の責任
1 施設の特性と安全配慮義務
当該スキー場は、競技志向のレッスンや高速滑走が生じ得る環境にあり、混雑・交錯の生じやすい時間帯・区画においては、速度抑制・合流注意・停止禁止帯等の注意喚起(掲示・アナウンス)、事故時の誘導・協力要請など、相応の安全配慮・運用が求められる。
2 被告Mの所属するジャステムレーシングは、被告スキー場が協賛する「ポテト&スプリングカップ」に協力しており(《甲第17号証》)、被告Mは被告スキー場と一定の近接関係にあったことがうかがわれる。
そして、本件衝突事故における被告Mの言動は、「上方滑走者の注意義務」を十分に理解していないか、または、理解していながらも過失相殺の主張により当該義務違反が免責され得ると誤信していることをうかがわせる。これは、スキー場運営者たる被告スキー場における事故防止のための啓発・周知が必ずしも十分でなかったことを示す事情である。
3 運用の不十分さが本件損害に与えた影響
実際の事故状況及びその後の経過に照らし、当該配慮・運用は十分であったとはいえず、身元確認や当事者間の協力が迅速に図られなかった結果、原告の精神的負担は増大した。
4 損害の性質及び額
前記各事情は、慰謝料算定上の加重事由として斟酌されるべきであり、被告スキー場に対する慰謝料の相当額は金10万円である。
第9 結 論
以上のとおり、原告の精神的損害の総額は金200万円と評価され、その内訳は、被告M金90万円、被告S金90万円、被告SAJ金10万円、被告スキー場金10万円である。なお、右各金額はいずれも懲罰的加算を求めるものではなく、行為態様・事故後対応・再発防止の必要性等を総合考慮した上で、精神的損害の実質的回復に資するよう衡平に定めるものである。